公害資料館ネットワーク 資料研究会参加報告

 20201029日(木)公害資料館ネットワーク資料研究会に参加しました。ネットワーク加盟の資料館などから12名がzoomで参加しました。

 今年度は、「コロナ禍の時代における公害資料の有する意義について」をテーマに環境アーカイブズと元国立水俣病研究センターの蜂谷紀之先生から報告があり、その後、4人ずつにわかれグループ討論を行ないました。

 

■環境アーカイブズ所蔵薬害資料

 環境アーカイブズからは薬害スモン被害者の全国組織スモンの会全国連絡協議からから寄贈された「薬害スモン関係資料」からビラを2点、サリドマイド被害の支援者でありジャーナリストである川俣修壽氏寄贈「サリドマイド事件関係資料」から患者の声を記した手記を1点紹介しました。もしコロナで薬害が起きたら、私たちになにが起こるのか。たとえ健康被害が自分の身体に起こっていても、社会が被害を認知しなければ、薬害被害者として認められないという現実があったことを、資料はまざまざと伝えてくれます。

 サリドマイド資料の報告では、被害はその一瞬のものではなく、生涯つづくものだという指摘がありました。もし薬害が起きてしまったら、その被害はその人の人生を変えてしまいます。被害が起きないための対策を求めていくことの重大さを被害者の声から感じました。環境アーカイブズ所蔵資料は、すでに起きてしまった薬害事件の被害者から寄贈を受けたものですが、いまの時代に通じる課題を提供してくれています。

 

■資料から見えてくる水俣病とコロナ時代

 蜂谷先生からは「資料から考える水俣病」というテーマで、水俣病患者の推移や市内で当時どんな言説が交わされていたのか、市の行政はどんな行動をとっていたかなど、当時の市の調査記録や新聞、地域のミニコミ誌などからお話いただきました。

 そのなかでも印象深かったのは、チッソを守り、経済活動を優先していこうとするなかで、地方の住民への被害が軽視される傾向があったという指摘です。それは、「わが国でも水俣市は、問題のチッソ工場に依って市政を成り立たしめている。会社が赤字経営の現在でも、市税の四分の一は会社の直接負担である。…中略…したがって、もしこの工場が失われれば市が潰れるのである。その場合は、市民の大半が不幸に陥るであろう。こうした事実を思うとき、ある市当局が、公害汚染の事実を隠すことが仮にありとしても、それは、市政全体のことに頭を悩ますものがあるからではあるまいか。まして公害の被害者が市民のほんの一部分に過ぎない場合はなおさらのことに思える。」(「三好重夫:企業と市政」、「自治日報」、1970.6.26)という記事の紹介です。

 蜂谷先生は、この記事に書かれた「大多数の生活のためには、住民のほんの一部に関わる公害の事実を隠すことも仕方がない」が「大多数の生活のためなら、住民のほんの一部に被害(死者も)が生じても仕方ない」と実質的に同義であったと指摘、公害被害における「いのちの序列化」(小松裕『「いのち」と帝国日本(日本の歴史14)』、小学館、2009より)が行われたとまとめられました。これは薬害にも通じる視点だと思います。水俣で起きたことは、コロナ禍でも起きうることなのではないでしょうか。

 それから、当時、自分たちの生活基盤であるチッソを守りたい市民と被害救済を願う市民との間で、ビラ合戦が行なわれ、市内全域に互いの主張をぶつけ合う折り込みチラシがまかれたというお話もありました。その一方で水俣市は市内約8割が回答した健康状態調査を行なうなど活動をしています。しかし、この調査は詳細な解析が実施されず、40年後に蜂谷先生が解析をされているなど、記録が蓄積されてもその活用がなされていなかった実態なども浮かびあがりました。

 

■グループ・ディスカッション

 後半のディスカッションでは、4人ずつ3グループに分かれて行ないました。ディスカッションででた意見をかんたんに紹介します。

 

  • ・コロナ禍のなかで、市役所などに市民の声が電話やメールで届いている。これらの記録が蓄積されることで、この時代を映すアーカイブズとなる。まさにいま記録がつくられているのだ
  • ・公害・薬害が起きた時代といまの大きな違いとして、SNSがあること。SNSでの発信なども記録の蓄積になる
  • ・証拠としての記録を残していくことの重大さ
  • ・コロナの現状の問題と公害の展開過程がよく似ていることに注意したい。発生から展開を段階を踏まえてみていくことで、記録をどう残すか、記録を通して問題を考えていくことができるのではないか
  • ・コロナと公害の共通点は、未知の難病であり長期化する恐れがあること。つまり、公文書やカルテなど被害の証拠となる資料の保存期間を超える可能性がある
  • ・(公害)資料館として個々の資料館で教訓を伝えることも大切だが、まだ調査されていない資料を確認し、その課題を伝えること重要ではないか。学会などと連携して発信していく必要があるのではないか
  • ・公害とコロナの関係性について、個人を守るために攻撃性がでたことは共通点。自分が加害者側にならないと思っている人でさえ、自分を守らないといけないと思った瞬間になりうる可能性がある。
  • ・水俣のビラ合戦の話をきいて、被害者のなかに分断をうみだしていると感じた。コロナでも同じようなことが実際におきている。そうならないためにも、一般の市民が自分の感度をあげて、過去の営みから学び、分断の可能性があることを知っておくことができるのではないか
  • ・公害の話になると国と被害者の二項対立になりがちで、資料でその二項対立だけを見せてしまうと、自分たちの加害性への想像力を閉ざしてしまうのではないか

 

 このように、さまざまな意見がでてきました。答えのない問題に対して、資料から議論を重ねていくことで、個々が気づきや学びを得られたのではないかと思います。

 資料研究会としては初のzoom開催ということでしたが、大阪、九州、三重、東京など距離を超えて参加できるメリットを十二分に使った会でした。それぞれがかかわっている資料のなかに、コロナ時代に結びつくどんな気づきが眠っているか、また聞かせていただく機会があることを楽しみにしています。

 

環境アーカイブズ アーキビスト 川田恭子